1. 軌跡と展望
・昭和36年
小田充人(同志社大)と永田征爾(福井商業卒)の両氏が初めて、福井市にウェイトリフティング競技を紹介。
・昭和37年4月
東京大会、メキシコ大会の金メダリスト三宅義信選手を招き、実技指導を受けたのを機に『福井市重量挙げ協会』が誕生。
・昭和39年
市営弓道場跡に練習場が完成。
・昭和43年
広瀬則夫選手(フェザー級)が学生選手権で優勝し、本県初の大学チャンピオンとなる。
・昭和46年
組頭健太郎選手(フライ級)が学生選手権2位。
・昭和49年~53年
県民体育大会において、団体6連覇達成。
・昭和51年4月
白崎中徳選手(フライ級・現姓 橋爪)がアジア選手権で銀メダル獲得。
・昭和52年
『福井市ウェイトリフティング協会』に改名。トレーニング教室の開始。
・昭和52年10月
組頭健太郎選手(52kg級)が国体で8位入賞。
・昭和54年10月
森川浩一選手(90kg級)が本県初の国体優勝。同年の全日本社会人大会も制し、2冠達成。
・昭和57年6月
市営球場近くに専用練習場(駐車場、シャワー、トイレ完備)が完成。
・昭和58年~60年
県民体育大会において、団体3連覇達成。
・平成9年8月
県民体育大会において、13年ぶりの団体優勝。
【 展 望 】
昭和43年の福井国体開催に向けて何年も前より、中学生から素質のある選手の発掘、高校生や大学生・社会人の強化など徹底して図れられた。この強化策が実を結び、福井国体では旗手を務めた高島選手をはじめ、全員が入賞し、天皇杯得点に大きく貢献した。又、坂井農業高校がインターハイ優勝の栄誉に輝くなど、県全体としても全国のトップレベルとなる。
その後も次々に優秀な選手が現われ、先輩に続けとばかりに、法政大学・大阪商業大学・日本体育大学といった名門校に進学した。大学の猛練習でさらに鍛え上げられ、日本を代表するリフターとなり、国民体育大会を始め、全日本学生選手権、日ソ対抗戦、アジア選手権大会など全国大会や国際大会で輝かしい成績を残している。その結果、高校-大学-社会人-指導者というルートが確立し、福井市ウェイトリフティング協会の黄金時代を築いていった。
しかし、“盛者必衰の理”の如く、栄光の日々から二十数年を経て、徐々に後に続く選手が少なくなり、全国の舞台から遠ざかっていった。それに変わって、若狭東高校や小浜水産高校を中心に、嶺南地方から優秀な選手が続々と台頭してきて、全国大会で活躍した。県内では完全に小浜市を中心とした嶺南の独壇場となり、勢力地図が大きく変化した。
時代も平成に入り、社会人を中心として、地道に強化練習・強化合宿を実施した結果、国体(成年男子出場枠4名)や全日本社会人大会などの全国大会に選手を輩出するまでに至り、平成9年の県体では、13年ぶりに団体優勝を果たす事ができた。かつての黄金時代や全国トップレベルと比較するとまだまだ大きな隔たりはあるものの、全国の表彰台を目指して日々練習に励んでいる。
※長い間、ウェイトトレーニングの分野では、柔軟性やスピードが失われるといった妄説が罷り通ってきたが、欧米諸国で科学的研究が盛んになり、今日ではその重要性が認識され、あらゆるスポーツで採用されるようになった。
県内でも陸上競技や柔道などの補強として、実施する高校や大学が増えている。又、健康
ブームを反映し、健康増進や趣味としてのトレーニング人口も増加している。協会において
も、社会的な影響を追い風に会員も増え、着実に底辺の広がりを見せている。